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「ナベさんの気ままなラジコン日記」①~ ラジコン黎明期 ~(2009/11/6)

空を飛びたい。大空を自由に飛んでみたい!
そんな夢を自分で作った飛行機に託して、大空をバックに自由自在に操縦できたら、どんなに素晴らしいことでしょう。今でこそ手頃な価格で良く飛ぶラジコン飛行機を楽しむことが出来るようになりましたが、昔の先輩方は大変な苦労をしながらラジコン飛行機を楽しんでいました。その頃の話を少ししてみたいと思います。

今から50年位前の話です。当時のプロポは非常に高価で(当時の大卒初任給の3倍くらい)持っている人は、ごく限られたお金持ちだけでした。ほとんどの人はシングルというボタン打ちの送信機で、右旋回はトン、左旋回はトントンと、まるでモールス信号のような操縦のし方をしていました。サーボも高価でなかなか手に入らず、代わりにゴムの力で舵を動かすエスケープメントという機械を使っていました。これは胴体内にゴムを張って、機体のお尻のところでゴムを巻きます。したがってゴムが巻き戻った時点でノーコンです。しかもこれが、どんな舵の打ち方をしても舵角は一定ですから、安定性の高い高翼機でないと上手く飛びませんでした。こちらから操縦しなければフリーフライト機のようにフワフワ飛び、旋回する時にトンと信号を送ると、機体はグラッと傾きました。「操縦しない方が良く飛ぶ!」とは、正しくこのことです。それでも操縦したことになるので、皆大喜び!それはもう大成功でした。

当時はARF機などなく、レーザーカットのバルサキットもなく、ダイカットされたキットはまだましな方で、中にはバルサに印刷しただけで自分でカッターで切り抜くキットもありました。それでも一生懸命作り、フィルムもないのでドープで絹を貼り、私のようにお金がない者は紙を貼っていました。燃料の潤滑油はひまし油で、添加剤はニトロベンゾールでしたからエンジンの始動性も悪く、エンジンが半日かからないなんてこともザラでした。大概エンジンがかかる前にバッテリーが上がってしまうんですけどね。バッテリーといえば、当時のプラグヒート用のバッテリーはコロイドバッテリーといい、現代のシールド型バッテリーと違って中の希硫酸が漏れます。これがズボンに付くと穴が開き、よく母親に怒られたものでした。このバッテリーの電圧は2Vなので、白金のプラグを使う時はニクロム線で電圧を落として使っていました。それでも、ラジコン飛行機が珍しいのでギャラリーもジット飛ぶのを待っていました。エンジンがかかると皆拍手喝采です!あの紫色の煙と独特の甘~い臭いは、今でも忘れられません。

さて、いよいよフライトです。風に向かって模型飛行機を手投げします。当時は操縦を教えてくれる人もなく、インターネットもない時代でしたから、みな独学でフライトに挑戦していました。手を離れた飛行機は、大きな放物線を描いて地面に吸い込まれていきます。そうなんです。この数秒間に、機体の傾きを目で把握して、逆方向に修正舵を打つ判断をして、修正舵はトンだったかトントンだったか頭の中で翻訳して、送信機に入力して、エスケープの反応を待つには、あまりにも短い時間なのです。
こうしてほどんどの場合は墜落してしまうのですが、それでもめげずに飛行機を修理して、次の週にはまたフライトに挑戦するのでした!


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