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「ナベさんの気ままなラジコン日記」(117)~ラジコン飛行機回顧録~(2012/01/27)

ナベさんのプロフィール

(過去の日記はこちら)


まずはお便りをご紹介します!

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ナベさん初めまして。名古屋在住の出戻りフライヤーです。
毎週楽しみにして貴日記を拝見しております。
25年前に諸事情で空物から離れましたが、ひょんな事からナベさんの日記を見つけたのが運のつき?再燃してしまい早朝グランドで発泡機を楽しんでおります。
あのプラマの記事がなければ、この素晴らしいホビーに戻ることも無かったでしょうからとても感謝して止みません!
今後も楽しい日記を楽しみにしていますので、どうか末永くお続け下さいませ。
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名古屋の出戻りフライヤーさん、お便りありがとうございます!

毎週書いている私の日記がきっかけとなって再度ラジコンを楽しまれていると知って、私も嬉しくなりました。

さて、25年間のブランクの間にラジコン事情が随分様変わりしたことと思います。今週は昔のラジコン事情について触れたいと思います。

〔プロポについて〕
当時は周波数をクリスタルで制御していましたから、バンドを変えるのに送信機・受信機共いちいちクリスタルを購入して基盤に差し替えていました。その後、PLLシンセサイザー方式が主流になって送信機はトリマースイッチを切り替えるだけで簡単に周波数の変更が出来るようになりました。また、受信機は周波数をスキャンさせて送信機の周波数を見つけると固定されるという仕組みでした。実は、このシステムはアマチュア無線の世界では、かなり前から実用化されていました。ラジコン界での普及が遅れたのは、周波数の変更が簡単なだけに、ユーザーの中で混信による墜落などの可能性があるため業界は慎重な姿勢を示したのかも知れません。周波数の変更もやろうと思えばコンピュータープロポのメニューからも出来るのですが。ユーザーに周波数を変えているという意識を持たせるために、あえてトリマースイッチにしたのでしょう。
その後、プロポシステムに革命が起きました。そうです。2.4GHzの登場です。
ラジコン界では2.4GHzとホッピングシステムとが同意語で語られていますが厳密に言うと意味が異なります。狭義の2.4GHzとは周波数あるいは周波数帯のことで、従前の40MHzや72MHzがVHF帯であるのに対して、2.4GHzはUHF帯に属します。UHF帯はVHF帯に比べて電波伝搬において直進性が強くなり、デッドゾーン(不感地帯)が出来やすいというマイナスファクターがありますが、度重なる実験による電子機器の改良により、これを克服しました。次にホッピングシステムですが、この技術を40MHzや72MHzなどのVHF帯でやろうとするといささか無理があります。その理由は使用できるバンド数が少ないので、混信が起きたときに空いている周波数に逃げられない可能性が高いからです。
2.4GHz帯のように使用できる周波数帯が広いことによって、始めてホッピングシステムの技術が活かされたことになります。
空物ラジコンが大型化・高価格化している現在、2.4GHzの恩恵は計り知れないものがあります。



昔のプロポです。アルミの箱にスティックとトリムと必要最小限のスイッチとメーターが付いています。当時としては6chは脅威だったんですね!受信機もトランジスタ、クリスタル、コンデンサ、抵抗などが、所狭しと並んでいます。6チャンネルで52,800円と、それ程高価には感じませんが物価が違います。当時の大卒の初任給が10万円くらいでしたから、私のような貧乏人にはハードルが高かったです。


〔飛行機について〕
当時の飛行機はバルサキットが主流で、完成機は数えるほどでした。私の記憶の中ではIM産業がエアロスバルFA-200やコルセアアクロナイツを商品化していましたが比較的高価で、当時の私の収入では手が出ませんでした。今では、みなさんご存知のとおり、中国製のARF機が非常に低価格で入手しやすくなりました。
それでもリンケージや調整の技術は昔も今も変わらず重要な要素となっています。



当時のバルサキットの数々です。
昔は受信機やサーボなどのメカ自体が大きく重かったので、胴体は太くて翼面加重も軽くなるように主翼面積はたっぷりと採ってありました。また、メカの信頼性があまり高くなかったため、上反角を大きめに採った自立安定性の良い機体が入門機・初級機として普及していました。



昔懐かしいIM産業のコルセアアクロナイツ45です。胴体はFRP塗装済み、翼は発泡スチロールコア・バルサプランク塗装済みです。主翼は後退角付きの完全中翼機です。あの頃あこがれた機体です。機体に68,000円を掛けるのは勇気が要りました。もちろん私は買えませんでした。



これ見てください!
なんと可変ピッチプロペラですよ!可変ピッチ!
もう考え方は実機と同じです。この製品とは別にMK(加藤無線)からも可変ピッチプロペラが発売されていました。
可変ピッチプロペラがなんと43,500円です。交換用ブレード1組でさえ3,500円ですから、現在のAPCプロペラがいったい何本買えるのでしょうか。サーボが高価な時代に可変ピッチのためにサーボを1個使用します。
みんながラジコンに夢と情熱を傾けて理想を追求していた時代でしたね。


〔パワーユニットについて〕
当時はグローエンジン全盛期でした。グローエンジンの中でも4サイクルエンジンが注目を浴びていました。4サイクルエンジンは部品点数が多いため高価で重かったのですが、重厚な4サイクルサウンドが多くのファンを魅了しました。当時もロータリーエンジンやパルスジェットエンジンも発売されていましたが、あまり一般的ではありませんでした。
また、あの頃も電動モーターもありましたが、まだまだ非力で一部のマニアによる実験段階だったように思います。
それがどうしたことでしょう!
モーターは重いブラシモーターから高性能ブラシレスモーターに変わり、バッテリーはニッカド電池から軽いリポに生まれ変わりました。また、中国パワーがより安くより手ごろなモーターやリポを生産したため、騒音対策も追い風になり電動パワーが爆発的に普及しました。



左が国産初の?模型用4サイクルグローエンジンFS-60です。今となればプッシュロッドやロッカーアームが露出していて大丈夫かしらと思いますが、当時はプロペラのクランクに同期してロッカーアームが動くのに感動しました。
右が言わずと知れた水平対向エンジンFT-120です。
エンジンの大きさに比べてキャブレターのエアインテークの口径が小さく見えますが、左右のシリンダーが交互に爆発しているので、これで良いのだそうです。
このエンジンの何がすごいことかと言いますと、OSが模型業界で初めて?全国ネットのCMに打って出たことです。
なにしろラジコン業界は、それ程日の目を見ていない時代でしたから、お茶の間のブラウン管に(今でしたら液晶かプラズマですが)OSのジェミニが登場したときは、思わずお茶碗を落としそうになりました。

当時の日本のラジコン業界は、それだけ元気があって何事にも一生懸命な時代でした。
今、考えても、ここ30年間くらいはラジコン業界も劇的な変革の時代でしたね!




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